知識の習得は自分の中で棚卸ししてこそ言えるんじゃないか。
シロクマ日報さんの記事、今日のやつの方を見ていて
その記事の習得の仕方は
ちゃんと学んでいるとはいえないんじゃないかと思った。
知識を身につけてしまうと、それが「当たり前」のこととなってしまい、同じ知識を共有していない人々の気持ちが分からなくなる -- 結果として、その知識を他人に伝えることが難しくなるというのが「知識の呪い」。
僕の数少ない経験ながら、この人は尊敬出来るリーダーだと思った人から
こんなことを言われたことがある。
言葉のリンクテーブルを持ちなさい。
人を見て、その人がわかる表現を出せる引き出しを自分の中に作っておくこと。
人に教えられることが自分のその事象、知識に対しての理解を示すということは
よく言われることだと思うし、僕もそういうつもりで人に説明するときは
自分の勉強だとも思っていた。もちろん英語というか、カタカナ言葉でしか
説明をしにくいものがこの分野は多いのだけど、それでも逐次訳というより
はその言葉の意味するところ、という扱いで別途説明した方がいいと思う。
知識の習得というのはそういうことじゃないかな。いつもできるわけでは
ないのが難しいけれど、体系付いてないものについては自分の知識の棚卸しを
定期的にやらないと硬直化してしまう。常々気をつけたいものだと思った。