プライドの見える化

何かに対する意見を出すのは結構難しい

via ひとりひとりが誇りを持つ、ということ:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

で、元記事の

全力でプログラマーを「人気の職業」に押し上げたい - Attribute=51

も読んで。

ひとつひとつコメント入れてみようかなと思ったら思いのほかめんどくさくなって

発散してしまいそうだったのでお蔵入りさせてみた。

その上でつらつら書いてしまおう。

IT業界ってのはいろんな業界の集まりで、Web業界とSI業界でも随分違うよねということ。

ITシステム全般については既に社会的にコモディティ化しつつある現実を認識する必要があって、

そういったものについては動いて当然の感覚をユーザが持つのも当然。

だからクオリティをいかに保つか、もしくは高くしていくかということを考えないといけない。

品質保持コストとして人間のクオリティが必要になる。SEであれPGであれ、

単価の高い人材、それに相応しい能力が求められる。

SI業界において、下請け連鎖構造をどうにかしない限り、末端の人間が高報酬を得ることはない。

BtoBの場合、元受がそのまま作っているのと、孫受あたりまであった場合で、

単純に元受のエンジニアの方がスキルが高いとするならば、ユーザは同じ金

払ってるのにこのROIはなんだ、ということになる。

フラットな関係から競争しているのと、ヒエラルキーが厳然と存在していて、

その中で制限つきの競争をしているのとでは、もてる意識も対外的な評価も

異なってくるんじゃないだろうか。前者はまさしく「競争している」であり、

後者は「あがいている」ように見えないか。

結局のところ、人が足らないのか、少ない人数で提供出来るサービスが少ないだけなのか

よくわからないところに落ち込んでいきそうな。

つまるところ、プログラマなりSEなりが「クリエイター」なのか「サービスプロバイダー」なのか

を意識しないとだめなんじゃないのかな。言葉あわせないと変だからプロバイダーって

伸ばしたけど普段プロバイダだね…クリエイタとはあまり言わない気がする。ちょっと不思議。

閑話休題

仕事にする以上、大抵のプログラマはサービスプロバイダであると思う。

そういうサービスは自然に使ってもらうことが一番よい状態なのだから、

普段使う人に気付かれるような目立ち方はされてもいいけどされなくてもいい。

自己表現の手段とかも入ってくるとそれはクリエイターと呼ばれる分野になるし、

こいつはえらいことだぜと思ってもらえるのは純粋に評価を与えられたと考えていいと思う。

でも半ば作品化している、例えばゲームのようなプログラムでもない限りは

一般ユーザからの評価を強く求めることは難しいだろう。ていうか無理。

ATMを例にあげていたけれど、最近導入されてこいつぁ便利だぜと言える例は

FeliCaじゃないだろうか。SuicaやらPiTaPaやらスタパやらモジラやら。

後半2個は流していただくとして…

あれ作ったのはすごいなと思うし、導入までの経緯だってそれなりのものが

あったはず。あったはずだけど普段意識しないよね。だからこの前事故って使えなかった時に

大変なことになった。昔日経hogeで見た程度なのではっきり覚えていないが

Suicaの導入時にJRがSonyに出した要件はカード情報の通信時間を1秒以内にすることだった(はず)。

それ以上の時間がかかるようでは一般に使われないと判断しているJRもわかっているなと思うし、

それにあわせてきたFeliCa開発スタッフもたいしたもんだと思う。

でもそれは自然に使ってもらうためだ。何気なく使ってもらえればそれでいい。

気になった人は調べてくれればわかるよ、くらいのつもりでいれば普通にかっこいい感じに思える気がする。

シロクマ日報の小林さんが誇りを持てるように、と書いていたが、今のエンジニアで

それが出来る人はWeb系の方が多いだろう。SIになぜ少ないかと言えば外注構造のせいで

自分がサービスプロバイダとして携わる意識が目減りし、提供するサービスの全体像が見えにくくなっているからだ。

全体像が見えないと全体を総括する仕組みも説明出来ないし、それによって

どんなサービスが使えるようになってどんな人たちが楽できるのかが伝わらない。

全体像の提示と「いまここ」を示すことが出来ない人が、自分のやっている仕事について誇りをもてるだろうか?

誇りを持てなければもらう報酬なりの責任感になってもしょうがないような気がする。

お金に換算して俺のやってる仕事はこんだけの価値を生み出せるんだ、と思うのもいい。

サービス全体の中でこういうことをやっているんだ、という話で責任を感じてもいい。

そういうところで自分がやってることについての誇りを持てるんじゃなかろうか。

じゃあ全体を把握するためにはどうすればいいだろうか?

簡単なことだ。携わる人数を減らすしかない。

人数が減ったら今ですら足りてないというのにどうなるの?

能力のある、と評価される人たちでチームを作っていくしかなくなるよね。

結局今だって人海戦術要員が欲しいわけじゃなくて、技術者が足りてないと言っているわけで。

人気を博すのは構わないのだが結果として敷居は少し高くなった方がいいのではないかと思う。

未経験者でもすぐなれます、みたいな裾野の広げ方をするからかえって魅力が薄れて

現場はこんな使えないのをなんでよこしたみたいな悲鳴をあげて悪循環になっていく。

人が元々少ないなら、提供するサービスに対してクライアントが払うお金が

同じだとすれば、各人が受け取る報酬は必然的に上がることになる。

だからこそそのひとりひとりが価値ある人材として評価されていくことになるのでは

ないか。職業としてのプログラマは専門職としてもっと洗練されていくべきで、

それをサービスとして享受するユーザ自体のコンピュータリテラシを向上させれば

結果として全体のレベルが上がっていくことになる。

向かっていく方向はこんなところを目指すといいのかなと思っている。

だとするといくら納会で集中切れたとか言っても最後の最後にこんなエントリを

つらつら書き綴っている僕のようなエンジニアは将来もう少し怒られないといけない。

どうせ書くなら役に立つコードのメモでも書け、ってね。

そんな風になっていくならまだこの先面白いんじゃないだろうか。


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