大事なのは肩に乗っている自覚

まあ休日出勤中くらいちょっと息抜き、みたいな。
最近全然書いてなかったなというのも含めて。走り書きなんでTwitter
でもよかったんだけどまあなんとなく。


手塚治虫はそんなに凄い人じゃないと思う
から結構派生してるのがあったりしたようだったので、
自分が多少見知ってるジャンルで当てはめると何かなぁと思ってみたり。
そう考えると音楽、The Beatlesかなぁとふと思い出した。
軽く検索してみたけどそれっぽい記述がないので僕が当時練習していた
スタジオを管理してた楽器屋のおやっさんがソースという危うい感じだけども。


もう最近は作ったり弾いたりとかは全然してなくて、せめて聞くだけでも
という感じで基本的にジャンル問わずいろいろ聞いてるつもりではあるの
だけど、いまだにThe Beatlesはまともに聞いたことがなかったりする。
楽器屋のイベントで即席バンドを作ったときにHey, Judeをやったことがある
が、そのときにちらっと聞いたかなぁくらい。なんかおなかいっぱいになって
しまうというか、古典にあたるのはいいけどなんか甘ったるいなぁみたいな
感じで避けていた気がする。まあよくあるStonesかBeatlesかみたいなそう
いう雰囲気かもしれない。


でまあ、そんな話をいきがっておやっさんにしたら彼らのすごいところは
そういうところじゃないみたいな話になって。


「スタジオで練習するときに24時間OK、ノーネクタイOKになったのは彼ら
のおかげなんだぜ?」


ということだった。なんかネクタイつけてるイメージが非常に強かったの
でやたら意外だったけれど。ソースどこみたいな話は当時はネットとか
まだごく一部の人が使えるかも程度な頃だった(1993〜1994年?)ことも
あって、なるほどねー、すごいっすねーみたいな話で終わったけど非常
に印象に残っている。


曲の受け止め方はpublishedになった時点で受け手に委ねられるところは
あるから個々の評価は好き好きでいいと言うしかないところはある。け
れど、後の行動様式の一歩を切り開くというのは非常に大きなことだなぁ
と思う。そしてそれが当たり前になったときに、当時がいかに困難な障壁
が存在していたかを思うのは相当難しいことだなとも。


僕らはそういった積み重ねの果てに今立っている。仕事に直結する意味で
言えばストールマンやリーナスがいなかったらどうしてるんだろうか、と
いう話とか。全てを知ることは無理だし、そこまで余裕はないと思うので
一次ソースにすべからく当たれ、というのは少し暴論に思うのだけど、
先人の肩に乗っていて今があるという事実を素直に認識して受け入れておく
ことさえ出来れば基本的な謙虚さは持てると思う。


今の「当たり前」がないことを想像してみると標準を作り出すことがいかに
難しいのだろうと悶々としてしまう。それだけに考えすぎずに何かの一歩
を踏み出せるかもと思って行動することが大事なのだなと思い至る。


ついつい日常に流されがちだけれどもう少しやりたいことに近づくための
努力をしていこう。日々+1できるように。